中岡 史朗(なかおか しろう)さん(1991年商卒)

1991年3月商学部卒の中岡史朗です。

私が大学に在籍したのは、1987年4月から1991年3月までの4年間。時代は昭和から平成へと移り変わり、のちにバブルと呼ばれる狂乱の景気が日本を包んでいた時代でした。

 今回は黒川さんからバトンを引き継いだこともあって、久々に卒業アルバムを引っ張り出し、過去の記憶を呼び起こしてみました。当時がどんな時代であったのか、簡単に振り返ってみます。

1987年

・国鉄民営化
JRが誕生しました。当時は自動改札もなく、切符切りのハサミを軽妙に扱うパフォーマンスは、駅員さんたちの絶好の見せ場でした。

・野球部が春のリーグ戦制覇
提灯パレードなる異次元のお祭りにも参加しましたが、在学中のリーグ優勝はこの一回だけでした・・。

 

1988年

・東京ドーム開場
在学中、後楽園球場にはジャイアンツ戦を観に行きましたが、ドームにはプロレス観戦で足を運びました。試合中、観客席にタイガー・ジェット・シンがなだれ込んできて、死ぬかと思いました。

・自民党が消費税導入を強行採決
導入時はコンビニで深夜のバイトをしていました。24時間営業でしたが、23時頃から1時間ほど 閉店してレジの交換をしたのをおぼえています。まだ手打ちのレジでしたよ。

 

1989年

・昭和天皇崩御、平成へ
いつごろからか、テレビでは終日、昭和天皇の脈拍数が字幕で伝えられるようになりました。考えてみると、令和の若者にとっての昭和は、自分たちにとっての明治にあたるのかと思うと複雑です。

・三井銀行と太陽神戸銀行が合併を発表
金融ビッグバンを背景とした、激動の大再編時代の幕開けでした。合併当初は太陽神戸三井銀行でしたが、ほどなくさくら銀行に改称されました。その後、住友銀行と合併して、現在の三井住友FGの原型となりました。

 

1990年

・バブル崩壊
前年末は38,000円だった日経平均株価は、10ヶ月足らずで20,000円割れに。日吉時代の同じアパートの住人がマネーゲームに明け暮れていて、NTT株の爆騰など自慢話をよく聞かされていましたが、その後パタッと連絡が途絶えました・・。

・オグリキャップ、有終の有馬記念ラストラン
競馬場ではオグリのぬいぐるみを抱える女性が目立ちました。応援馬券としてオグリの単勝馬券を購入し換金しない人もいて、これをきっかけに単勝馬券には馬名が印刷される流れになりました。

 

どうでしたか?なんとなく時代のイメージが伝わったでしょうか。それはそうと、自分のことも少しは紹介しとかねば・・

 学生時代、私にとっての夏の定番イベント(1、2年のときは嫌で嫌でしょうがなかったですが笑)がよさこい祭りで、東京私学六大学連合で4年間フル参加でした。踊りはいたってシンプルで、ただ酒を飲みながら自己満足の世界に浸るという、不適切にもほどがあるような封建制度が色濃く残るチームでした。(当然ながら現在は消滅)飲酒も、大学生になればなんとなく黙認されるようなおおらかな時代でしたね。

 夏休みに帰省してから、OBの方々を訪問し、いただいた寄付によって運営されていました。3年生に幹事になってから、まず最初の仕事は土佐三田会の事務局の方への挨拶でした。そこでお借りした塾旗を、1年生の旗手が最後の方はへべれけになって持ち、列の先頭を進むのが習わしでした。

 土佐三田会の後は、四銀三田会の会長へ挨拶。当時は竹崎会長でした。あれから30年以上経ち、現在は挨拶訪問した本店ビルで仕事をしています。

当時の写真で一番右が私(髪あるし)ですが、中央は2年前に転職し高知に帰ってきた岸田君で、彼も

今は同じ建物で一緒に仕事をしています。

 土佐三田会、四銀三田会と、当時からのご縁が今なお続いているのはとても感慨深いですね。

次は東条さんにバトンをお渡しします。

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