みずほ銀行高知支店にお勤めの西田友樹さんからバトンを引き継ぎました、1995年法学部法律学科卒業の伊藤真と申します。昭和46年7月生の亥年、52歳(令和5年8月現在)です。
現在は、高知市城北町(高知小津高校のすぐ東隣)で伊藤まこと司法書士事務所を経営しています。
出身は、高知県土佐市で、高知学芸中学・高等学校まで自転車で通学し、部活は、高校2年の県大会で引退するまでソフトボールをやっていました。うちの高校のソフトボール部は一部の本気の部員(大学でもソフトボールを続けようと思っている人)を除くと、高校2年の夏の大会が終わると引退する慣例があり、私たちの一つ上の学年の先輩は高校2年の夏で全員引退してしまい、また同学年の部員の中でも上手い選手は強化選手として他校との合同チームの練習に参加することになったので、残された平凡な選手4名だけで真夏に毎日5時間近く練習することになり、絶対に2年の夏が終わったら引退してやると誓ったのでした。
慶應義塾大学に入学後、1~2年の間は、軟式野球のサークルにたまに顔を出す程度で、ぶらぶらとしておりました。民間企業への就職はあまり考えておらず、自然が豊かな高知が大好きで、いずれは高知に帰りたいと思っていたところ、当時付き合っていた彼女(現在の家内)が、司法書士という資格があり、そこそこ収入もよいようだという情報を仕入れてきたため、安易に司法書士を目指すことになりました。大学3年から司法書士試験の予備校に通うようになり、大学を卒業した年に2回目の受験で司法書士試験に合格することができました。
後から分かったことですが、私が司法書士の受験勉強を始める少し前は、バブルがはじける直前期で、関東地区では土地の転売等が頻繁に行われていたため、関東の司法書士の所得は高かったようですが、高知ではそうでもなく、なにより私が司法書士試験に合格した時には既にバブルがはじけてしまっており、見事に当てが外れた形になりました。
司法書士試験には合格したものの高知では雇ってくれそうな事務所もなく、また県外の事務所に勤務してしまったら、今後一生遊ぶ時間が取れないだろう。遊ぶなら今しかない。と思い、1年間、ワーキングホリデーで自然豊かなオーストラリアに行くことにしました。
当時のオーストラリア(特にゴールドコースト)では、平日の日中にビーチをブラブラしている人がたくさんいて、裸足で街中を歩いている人だらけで(もちろん観光客もたくさんいましたが、観光客は裸足ではブラブラしません)、この人たちはいつ仕事をしているんだろうか?どうやって生活をしているのだろうか?と、かなり大きなカルチャーショックを受けました。
現在は、日本以上に物価が高いと言われているオーストラリアですが26~27年前は、物価が安く、アルバイトで1か月10万円稼いだら、4万円ほど貯金ができるような状況でした。お土産物屋さんのオーナーに気に入られて、ビジネスビザを取ってやるからうちに就職しないかと言われた時は、かなり心が揺れましたが、せっかく取得した司法書士の資格を無駄にするのはもったいないと思い日本に帰って来ることにしました。
高知に帰って来ても雇ってくれる司法書士事務所はないだろうと思っていましたが、たまたま姉が職安で司法書士事務所の求人募集が出ているのを見つけて来て、面接を受けに行くと、明日から来るようにと言っていただき、ラッキーなことに直ぐに就職が決まりました。
しかし、ラッキーと思えたのは最初だけで、3日目には後悔していました。というのも1年間オーストラリアで遊び呆けていたため、司法書士業務に必要な知識がすっかり抜けてしまっていたのです。また、勤務先の所長は非常に厳しい方でビシバシしごかれ、かなりしんどい思いもしましたが、高知県で1~2位を争うくらい繁盛している司法書士事務所でしたので、泣きそうになりながらも非常に多くのことを学ばせていただきました。
事務所内独立の期間も含め7年近くお世話になった後、平成16年5月に独立開業し、現在20年目を迎えています。お陰様で多くのお客様にご依頼をいただき、高知県内の50代以下の司法書士の中ではトップクラスの経験値があると自負しております。不動産登記、会社の登記、成年後見業務等に関してお困りごとがございましたら、いつでもご相談ください。ということで、ダラダラと長文になってしまいましたが、私の話は以上とさせていただきます。
私のバトンは、テレビ高知で大活躍の松岡葵さんへお繋ぎします。松岡さん、よろしくお願い致します。