北原 初枝(きたはら はつえ)さん(1976年文卒)

日ごろ土佐三田会の活動にはご無沙汰ばかりの劣等生ですが、慶應英語會(通称KESS)に所属していたご縁で、池田真浩さんからバトンをいただいた北原初枝です。1976年に文学部英米文学科を卒業しました。卒業後高知に帰ってからは高校の教員として仕事をしました。凡常な人生を歩んできた私の自己紹介にお時間を割いていただくのは恐縮ですが、よろしければ少しの間お付き合いください。

 

Keyword 1<私の初恋>

 私はいの町の出身です。高知大学付属幼、小、中学校を経て、高知学芸高校に入学しました。中学校で初めて聞いた英語という言語の音に、“ひと目ぼれ”いや“ひと聞きぼれ”してしまい、内容はちんぷんかんぷんなのに「なんと魅力的でそそられる音!」と、英語の音に恋してしまいました。そして自分もあのようなきれいな音で英語を話してみたいと、毎日自己流で教科書の音読をしたり、学校の近くにあった教会主催の英語教室で、英語の発音には強靭な「舌」が不可欠だと言われて、怪しげな「舌力養成」用の金具を購入したりしたこともありました。しかし、その器具が英語発音上達のために役に立ったかどうかということは、いまだに定かではありません。(笑)

 

Keyword 2<みんな違って、みんな同じ!>

 高校時代にAFS(American Field Service)奨学生として米国ニューヨーク州のエンドウエルという小さな町の学校で勉強しました。当時文化庁が窓口になって、全国から高校生を全米各地に派遣し、ホームステイをしながら地元の高校に通わせて、異文化を体験させるというプログラムで、私たちには毎月16ドルのお小遣いが支給されました。最近は円安が進んで1ドル130円台後半(うっかりしていると140円台になることもあるみたいですね)が続いていますが、当時は、通貨レートが固定されていて、1ドル360円の時代でした。(若い塾員さんには想像もつかないと思いますが、現実の話です。)また、当時日本はまだ先進国の仲間入りができていなかったので、米国入国時には結核等に罹患していないという証明が必要でした。ですから私たちは一人一人自分の胸部レントゲン写真(B4サイズ位の大きなもの)を個人で持参したことを今でもはっきり覚えています。今のコロナ禍での状況は別として、近年の旅行事情とは隔世の感があると思います。

あちらではいろいろなことを学ばせてもらいましたが、何にもまして一番大きな学びは、「肌の色、国籍、言葉、文化、思考は違っても、基本的な部分では人間はみんな同じ!」ということを実感したことではなかったかと思っています。そしてこのことは、私の中で大きな財産となって、今も私を支えてくれています。

 

Keyword 3<2教科ぜ!>

 帰国したときには高校の同級生はすでに卒業していて、学校には先生以外はほとんど顔なじみがいませんでした。当時、公立高校などではまだ認められていなかった“留学により取得した単位の振替”を適用していただいて、何とか高校を卒業できました。卒業式(?)の時に声をかけてくださったある先生の一言、「慶應は2教科ぜ!それに、英語の比重が髙いき選択肢の中にいれちょきや。」がきっかけで、慶應に入学することになった次第です。

 

Keyword 4<KESS、慶早戦>

 大学時代の大半は慶應英語會(KESS)の活動に費やしました。当時部員が200人以上おり、住んでいる場所によってホームミーティングという単位に分かれ、その中でSPEECH, DRAMA, DISCUSSION、DEBATEの4つのセクションのどれかに所属して活動をしました。私が在籍していた青山ホームミーティングでは、部員がそろって硬式野球の慶早戦の応援に行くことが伝統になっており、毎年2回春と秋には必ず神宮球場へ応援に行きました。偶然のめぐり合わせですが、なんと私が入学した年には慶應が春と秋2回連続でリーグ優勝し、みんなで祝賀提灯行列に参加できました。そして、その時の投手が土佐高校出身の萩野友康さんで、同郷の先輩のご活躍を誇らしく思ったことでした。

KESSにはいろいろユニークなそして優秀な先輩がいましたが、長身でいつもジーンズに下駄を愛用してDRAMAセクションで英語劇をしていた中村雅俊さんは、当時から他の先輩とはちょっと違ったオーラを出していたという印象があります。

 先輩方のコネクションのお陰なのかKESSにはちょくちょく割のいいバイト依頼が来ました。例えばテレビ番組の海外ロケの通訳とか、会社の文書の翻訳などのとても報酬がいい仕事が舞い込みました。私が引き受けた中で一番印象に残っているものは、当時の佐藤栄作首相主催のパーティーへ招待された各国大使の通訳のバイトでした。私の担当はラオス大使夫妻でしたが、田舎者の私には、周りのものすべてがキラキラ輝いて見えて、仕事をしながら普段はめったに口に入らない高級なお食事はいただけるし、大使とは友達になれるし、高給はいただけるし、といいことづくめでした。後日、ラオス大使からお食事に招かれ、大使館に伺ったこともいい思い出になりました。しかしあれからウン十年、大使とも音信不通になって、遠い記憶のかなたに消えてしまいました。

パーティーでラオス大使ご夫妻と
三田の演説館の前で、同級生と(後列左端が私です)

Key Word 5<Moving forward!>

 現在は、県の教科研究センターと高知高専で少し仕事をしています。また、米国に本部のあるDelta Kappa Gamma Society International(略称DKG)<www.dkg.org>という国際女性教員組織の日本支部の活動にも携わっていて、仲間と一緒に教育全般、女性教員のリーダーシップ向上について勉強や活動をしています。

自分の歩いてきた道を振り返ると失敗や後悔も多いですが、限られた人生、とにかく前進あるのみ!YESかNOか迷ったら、とりあえず“YES”と言おう! 行動しよう!という気持ちで毎日を送っています。気持ちだけは若いつもりですので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

 次はDKGの仲間である濱口静代さんにバトンを繋ぎます。

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