高知の大ファンだという日本銀行の齋藤万里子さんから、ご指名をいただきました黒木瞳です。(本名は谷智子と申します。) 現在、高知市教育委員会教育委員、高知大学教育学部客員教授をしております。若く新進気鋭の皆様の投稿が続くなか、思いがけず私にお声がかかり、血管年齢が30歳くらい若返った気分で、何だかうれしくなりまして、ついお引き受けした次第です。どうぞよろしくお願いします。
♪ 学生時代 その①
私は高知学芸高校出身で、高校時代は、おとなしい文学少女でした。「卒業したら高知に帰る」という家族との約束で、慶應大学に進学しました。奨学金をもらい、家庭教師を何件もして仕送りは少額で乗り切りました。吉田拓郎、井上陽水など、フォークソング全盛の時代でした。苦学生のはずなのに、社会勉強という名目で、高校や大学の同級生らと楽しく遊び歩き、さまざまな人と出会い、高知ではできない社会体験ができました。これらの詳細はあえて?省略します。が、とにかく貴重な体験ばかりでした。結論から言いますと、大学での4年間は、私の人生の大きな財産であると同時に、生き方の糧としてきたかけがえのないものです。ゆえに、三田会は、私にとって大事な存在です。
♪ 学生時代 その②
大学生活の一端を紹介します。大学の友達の多くは、いわゆるお嬢様で、見方や考え方、文化の違いが私にとっては面白く、視野が広がりました。そのひとり、今も仲良しの親友が、当時、大学の落語研究会、いわゆる「落研」のマネージャーをしていました。落研のメンバーが通う喫茶店に私もたびたび行き、親友と一緒にコーヒーを飲み語らいました。2階は雀荘になっていて、みんな1階と2階を行き来していました。多様なタイプの同級生との関わり、喫茶店のマスターの凜とした対応、大学の先輩がたのよもやま話・・・どれも新鮮でした。先輩に頼まれてテレビ出演したこともあります。せんだみつおが司会の番組で、「大学対抗丸太切り大会」という企画でした。六大学の学生が男女のペアで大きな丸太をのこぎりで切る速さを競うゲームです。リハーサルでは最下位でしたが、本番では、なぜかトップになり、賞金3万円をもらいました。先輩方が、「谷、でかしたぞ!」と褒めてくれたのを覚えています。その後は、大勢で街に繰り出し、その日のうちに使いきったとのことでした。
♪ 教師時代 その①
大学卒業後、このまま東京にいたいと思いつつ、しかたなく帰高した私は、就職もせず、フラフラしていました。大学時に教員資格を取っていたので、「臨時教員をしてみないか?」と知り合いから言われ、教師になるつもりは全くなかったのですが、その年の5月から1学期末まで、産休の先生の代わりに、いの町立川内小学校で、3年生を担任したのです。3年生はとても元気で騒がしく、私は子ども以上の大声で授業をし続け、1週間で声が出なくなりました。校外学習の許可を得ることもせず、子どもたちを近くの山に連れ出したことも・・・。子どもが大騒ぎして畑を踏んでしまい、地域のかたに厳しく叱られました。半泣きで山を降りていたとき、子どもたち全員がきちんと並んで道にちょこんと座り、「先生ごめんなさい。」と、声を揃えて言ってくれたのです。うれしかったです。菜の花が美しい季節でした。学校の2階の教室から、菜の花畑の間を通って帰る子どもたちを見送りながら、「いつまでやれるかわからないけれど、教師になってみよう。」と思いました。
♪ 教師時代 その②
翌年、高知市立鴨田小学校に採用、高知市立昭和小学校、高知市・高知県教育委員会を経て、高知市立一ツ橋小学校、高知市立愛宕中学校で12年間校長を務めました。その間、大学での落研繋がりでしょうか。採用2年目には、「漫才クラブ」を立ち上げ、顧問をしました。子どもたちと一緒に、教室で大笑いしながらお笑いのネタを考えました。子どもたちは、一生懸命練習して、全校集会で漫才を披露しました。すごく大きな金・銀の色紙の蝶ネクタイを付けて・・・。一ツ橋小学校では、3年生担任の3人の先生方とともに、「落語」の集中授業(全12時間)を行いました。先生方はとても熱心で、東京の「浅草演芸ホール」に寄席を観に行き、研究しました。「浅草演芸ホール」は満員で、座る場所がなく、地べたに座っていたら、林家正蔵(林家三平の兄)に、「難民のかたですか?」と振られ、「席(籍)がないのです・・」と返しました。この話を聞いた3年生の保護者が言いました。「座布団一枚!」高知市立愛宕中学校では、「生徒一人一人が主人公」を教育指針とし、地域住民組織「愛宕応援団」のかたがたと生徒が一緒に、地域の清掃や防災活動などを継続して行いました。とても楽しかったです。私の笑い声が、教室や体育館にまで聞こえると、よく言われました。こうなると騒音かも・・反省。
♪ 退職してから
私は、学校で、「笑顔あふれる明るい職場」をめざしました。明るい職場は児童・生徒、保護者、地域を明るくします。笑う門には福来たる!退職後も、笑うこととラジオ体操、ウォーキング等を楽しんでいます。老眼鏡を掛けたまま自分の顔を鏡で見てショックを受けたり、体中にガタがきていることを実感したりしますが、一日一日をゆったりと過ごせる幸せを感じています。お読みいただき、ありがとうございました。弥生3月、春が来ました。三田会の皆様のご健康とご多幸を心からお祈りします。
次は土佐女子中高等学校で教鞭をとっていらっしゃいます、野村あゆみ様にバトンをお繋ぎしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。