驚いたことに、同じ土佐市出身で中高大の先輩でもある、伊藤真さんからバトンを引き継ぎました!
テレビ高知(TBS系列・6チャンネル)アナウンサーの松岡葵と申します。1999年5月8日生まれ、ノストラダムスの大予言が現実にならなくてよかったとしみじみ感じる24歳です(笑)
中学高校と愛校精神はそこまでなかった私ですが、大学に入るやいなや急激に芽生えることとなりました。入学式のときに聞いた「若き血」にそういった効果があるのでしょうか?塾生になれたことに大きな誇りを、そして卒業後もこうして塾員の皆さんとつながりを持てることに大きな喜びを感じています。
今月14日に伊藤塾長をお迎えして行われる「四国連合三田会」でMCをさせていただけること、本当に光栄です!
一人っ子の私は、よく1人でお人形さんごっこをしていたからか、幼いころから空想することが大好き!少しすると、そういった自分の中にある世界を、歌やダンスなどで表現することに楽しさを覚えるようになりました。
6歳のときには、現在の勤め先であるテレビ高知で40年もの間放送された、視聴者参加型の歌謡選手権番組『歌って走ってキャラバンバン』に出場し、キャラバン大賞(最も会場を盛り上げた人に贈られる特別賞)をいただきました。このときは、まさか自分がテレビ高知のアナウンサーになるとは思っていませんでした!当時司会を務めていた藤﨑美希アナウンサーの隣の席で仕事をしている今の状況を、ふいに不思議だなと感じることがあります。
(くわしくはこちらから↓
https://www.kutv.co.jp/matsuoka_aoi/matsuoka_aoi-1606735/)
中高時代は、一番前の席を希望するほどの“がり勉”。と思いきや、廊下で先生を見かけると全速力で走って話しかけにいくという、少し変わった生徒だったと思います。やはり人前で表現することが好きだったので、歌や朗読のコンクール、英語弁論大会などに青春を捧げました。
そんな私に転機が!高校2年のとき、『歌って走ってキャラバンバン』が今年で最後だということで、「こりゃ出ないかん!」と思い、久しぶりに出場することに。舞台袖で、6歳のときに抱いたアナウンサーへの憧れを思い出し、アナウンサーになることが夢になりました。
そこでアナウンサーの輩出が多いイメージのある慶應義塾大学を志し、無事合格!入学式の日、電車にほとんど乗ったことがなかったので、寮がある元住吉から、式が行われるみなとみらい(体育館は新設中だったと思います)まで1人で電車移動できたことに、とてつもない達成感と成長を感じました(笑)
商学部ということで、現代企業の組織形態や文化、微積分を使ったマクロ・ミクロ経済などを学びました。ゼミは国際課税や税務会計などについて学ぶ「髙久ゼミ」に所属。移転価格税制やマネーロンダリングなど、今まで聞いたこともないような言葉ばかりでしたが、私の世界がどんどん広がっていくのを感じながら、充実した日々を送っていました。コロナ禍だったので、なかなか飲みに行けなかったり、合宿がなかったりと辛い時期ではありましたが、ゼミ生たちとの仲はとてもよく、静岡の御殿場までドライブしたこともありました。今でも会ってくれる大切な友人たちです!
一方、テーマパークや塾講師などのアルバイトをしたり、アナウンススクールに通ったり、国会で傍聴したり、週3でラーメンを食べたりと、大学以外の時間もとても充実していました。なにより、ディズニーのヲタ活は現在まで続く、私にとって命の源です(笑)
そして、コロナ禍での厳しい就職活動を経て、念願のテレビ高知でアナウンサーになることができました。ニュースを伝えて、リポートをして、中継をして、取材をして、原稿を書いて、あっという間に1年半が過ぎようとしています。
今は、「がんばれ高知‼eco応援団」(毎週日曜・午前11時~)を担当しています。普段のニュースでは、取材時間が1~2時間ほどなのですが、この番組だと取材先の皆さんと1日中行動をともにします。ですから、皆さんと密にコミュニケーションがとれるのでとても楽しいですし、本当に勉強になるんです!毎回驚き・発見があり、高知の魅力や良さを改めて感じられる。そうして感じたことを、アナウンサーとして、言葉や声、表情など全身を使って伝えられる。幼いころから楽しいと感じることを、こうして仕事にできているのは幸せだなと毎日感謝の気持ちでいっぱいになります。
アナウンサーになりたいと思ったときからの願い、「私を育ててくれた高知で、相手の気持ちを汲み取り、ありのままの姿や想いを引き出せるアナウンサーになりたい」という思いを大切に、不器用なりにがむしゃらに頑張ります!皆さん、お力添えのほどよろしくお願いいたします!
それでは、私のバトンは宮地貴嗣さんにお渡しします!よろしくお願いします!