平成10年に同じく文学部を卒業し、土佐塾中・高でも同級生の濱口静代さんからバトンを引き継ぎましたRKC高知放送の松﨑崇と申します。土佐三田会は幅広い世代の方々が集い、様々な分野で活躍されている同窓の皆さんと楽しく飲める!との噂を聞きつけまして、数年前から参加させて頂いております。懇親会にだけふらっと出席する呑兵衛会員ですが、改めましてどうぞよろしくお願いします。
わたくし、高知生まれの父と鹿児島生まれの母という維新のような濃い両親の元、昭和50年(1975年)に生まれ、高知大学付属小学校~土佐塾中高まで18年間を高知市で育ちました。小学校卒業時で早くも170センチ近い身長と、ランドセルや半ズボンが全く似合わない体格にすくすく育ち過ぎまして変に目立ったのでしょう、下校時にヤンチャな知らない中学生のお兄さん達にしょっちゅう絡まれたのには参りました。
中学時代に早々と理数系科目に白旗を上げ、人文系こそ我が進路と思い込み、当時刊行されて人気を博していた塩野七生さんの「ローマ人の物語」など歴史系の本を読み漁りながら、憧れの東京生活を夢に描きつつ高校時代を過ごしました。大学受験を考えていた30年前はバブル景気の名残りもあり、何となく大都会、東京へ進学を考える学生が多かった時代でしたが、高知から東京の私立へ送ってくれた両親には感謝です。
文学部に合格して念願の上京を果たすことができましたが、毎日お祭りでもあるかのようにキャンパスに集まってくる学生の多さにまずは圧倒され、それだけの人に囲まれながら知り合いも自分に関心を払ってくれる人も全くいないという、なんとも言い知れない孤独感にギャップを感じて困惑した記憶があります。携帯電話もインターネットもない時代です。文学部の掲示板前で途方に暮れるわたしに履修科目をアドバイスしてくれた先輩のお誘いで軟式テニスサークル(けっこう真面目なサークルでした…)に入って温かな連帯感を感じつつ、その活動費を稼ぐため都市計画コンサルタントでのアルバイトにいそしむ大学生活が始まりました。「ウインドウズ95」は発売前で、アルバイト先では当時珍しいアップル社のマッキントッシュに初めて触ったのも思い出深いです。
当初こそ面食らった大学生活ですが、様々な出会いに大いに刺激を受けました。明らかに生活水準の違う内部進学組とも知り合うことができました(垢抜けない田舎者が面白かった?)し、手ぶらで第二外国語の授業に来て初見のフランス語をすらすら訳す、アタマの出来がまるで違う同級生(何となく英語に似てるじゃん?とか言ってました)、試験前になるとあらゆる講義ノートのコピーを見事に集めてくる情報通(わたしもよく融通してもらいました)などなど、慶應義塾はまさに多士済々で、世間の広さを感じました。
大学3年からは史学科西洋史専攻に進み、ドイツ近現代史の東畑ゼミに籍を置きました。
毎週ゼミ終わりに三田の居酒屋で飲み、そのまま下宿組のアパートに河岸を変えて朝まで飲む、今となっては何の話を肴にしていたのか全く記憶にありませんが、毎度話題には事欠かず、今でも楽しい思い出だけが残っています。
卒業を機に現職の高知放送に就職するため、1998年春帰高しました。入社から報道記者を5年経験し、営業の仕事もちょっと勉強してこいと言われ、2.3年かなと?気軽に考えていましたら、大学時代よりも長い8年間の東京支社勤務も含め、気が付けば20年どっぷり営業畑を歩んでいました。文学部卒でも営業畑は何とかなるものみたいです。現在は営業推進部という部署で、東京・大阪など県外営業拠点のバックアップ業務をしながら、万年100前後のスコアからいっこうに成長しないゴルフと、最近始めた山歩きを楽しんでいます。
新型コロナ禍やウクライナ危機、物価高騰など当たり前の日常生活の大切さを再認識させられる昨今ですが、今年48歳の年男で年齢的にもいい年になってきました。相変わらず我がことであくせくする日々ではありますが、当たり前の日常の中で育ててくれた学び舎や社会に少しでもご恩をお返しできることはないかと考えています。土佐三田会の皆さま引き続きご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。取り留めもない内容にお付き合い頂きありがとうございました。
わたくしのバトンは東京海上にお勤めの高橋祐樹さんにお渡ししたいと思います。どうぞよろしくお願いします!