
四国銀行の先輩である小松正武さんからバトンを引き継ぎました1994年商学部卒業の岸田宗親です。現在、四国銀行で事業承継・相続対策に関する提案が主な業務です。専門分野への知識をさらに高めながら、「お客さま本意」の姿勢で業務に取り組んでいます。
私の好きな言葉で「A winner never quits!」というものがあります。これは1945年に1年だけMLBに出場した片腕のメジャーリーガー、ピート・グレイの言葉です。私が大学受験勉強をしていた時期に、関口宏司会の「知ってるつもり?!」という番組で紹介され、ずっと心に残っています。
和訳で「勝利者は決して諦めない」「諦めなかった者だけが勝利者となる」という感じでしょうか。「諦める」ことが大事なときもあるし、何をもって「勝利者」とするのか、ずっと自問自答しています。
当時の一旦の結論は、とりあえず何事も「全力」でやれば、結果がどうであれ何か得るものはあるだろう、と考えていました。
そうして始まった私の大学生活はどうだったのでしょうか?
結局はサークル、バイト、よさこいに「全力」でした(笑)
サークルは、「慶応スポーツ新聞会」の編集長まで務めました。野球部、ラグビー部、アメフト部を中心に取材し、広告費を集め、某大手スポーツ新聞社で編集作業・印刷をし、神宮や秩父宮で販売・配布をしていました。大学一年春の東京六大学野球は最後の慶早戦で勝ち点を取った方が優勝、神宮球場は超満員という最高の盛り上がりを見せました。結果は第3戦までもつれたうえ、大越基(仙台育英高出身の当時スーパースター)に抑えられ優勝を逃しました。今でもあの光景とあの悔しさは忘れられません。
バイトは、家庭教師3件、NHKの番組制作の雑用、高校野球地方大会のスコア付け(スポーツ新聞社からの依頼)、イベントで風船を膨らませるバイトなど。繁忙期が重なると睡眠が取れず、ふらふらしていた時期も。NHKの勤務時間は24時間???みたいな。
よさこいは、「東京私学六大学連合(当時)」というチームで4年間幹事として参加しました。関東の大学に進学した高知県出身の学生の親睦が目的です。春から踊り子を集め、夏の本番の準備(ほとんど飲み会)をするのはそれなりに体力勝負でした。踊り子全員を楽しませ、かつ事故・怪我などないように。つまり、幹事連中は酒を浴びるように飲んでチームを盛り上げながら、絶対に酔わない、潰れないというギリギリの状態で運営をスムーズに行います(?)
どうですか? 何でも「全力」でしょ!!
さすがに3年生になってゼミに入ると、就職も意識し、急に勉強らしいことも始め、定期的に研究テーマの発表もありました。記憶によく残っているテーマは、大手外食チェーン6社の経営戦略・財務面比較や自動車メーカーの効率化(いわゆる「かんばん方式」等)などです。経営について実例をもとによく勉強したと思います。一方、ゼミ員全員で東京都内ラーメン選手権を実施。ピックアップしたラーメン店を一定期間中に全て食べて点数をつけました。当然、「ラーメン二郎」が初代王者です!当たり前すぎてあまり意味がなかった、という結論でした。
基本的に前述のサークルやバイト、よさこいの活動をしながらのゼミ活動だったので、3年生のときが人生で一番忙しかったかもしれません(笑)
いよいよ社会人ですが、そのまま関東で銀行に就職しました。まさか高知へ戻ることなどは考えたことはありません。資格も取得するなどし、将来の計画もそれなりにありました。ただし、親の健康状態のこともあり、急遽家族をおいて2023年2月に単身高知県へUターンです。同業の銀行業務とはいえ50歳を過ぎた人間を四国銀行がよく拾ってくれたと思っています。今はこれまでの経験・スキルを活かし、四国・高知県のお客さまのお役に立てることが大きなモチベーションで、1件でも多くのお客さまに会おうと東奔西走中です!
どうでしょう? 自分なりに「全力」でやってきているつもりです。
ただ、気力に体力が追いつかなくなってきていることも事実です。飲み会の次の日のダメージが一番残念・・・。
そして冒頭の「A winner never quits!」は全く実感できる気配もありません。一生自問自答していくことになるのでしょう。
関東で長らく生活していましたが、高知へ帰ってきてからの方が三田会の団結力を強く感じています。これからも三田会の一員として積極的にみなさんとの関わりを強くしていきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。次は1996年卒業の木屋美穗さんにバトンをお渡しいたします。